韓国俳優キム・ナムギルがMBCの番組「世界と私 W」でインドネシアのボランティアをおこなった様子が放送されました。
番組が始まって約15分はハイチで起こった地震後の様子が放送されて、キム・ナムギルがナレーションを担当しています。
キム・ナムギルのインドネシアでのボランティアの様子は26分12秒からラストの42分16秒まで。
「世界と私 W」の有料視聴先はこちら♪220回の2010/1/29放送分です。視聴料金は일반一般画質で500ウォンになります
☆29日放送される MBC '世界と私 W'ではピダム キム・ナムギルがインドネシアスマトラ島を尋ねて救護活動を広げた姿が描かれる.
2009年 9月 30日,強震ですべてのものが崩れ落ちたスマトラ島.地震が起こって100日余り 後,彼らはどうしていているか?
緊張半分、心配半分でスマトラ島に足を踏んだキム・ナムギルは地震で家が崩れて大きい娘は鬱病まで病んでいるミラネを捜して自ら新しいねぐらを用意してくれた.
装備も不足で斧でくぎを打ち込まなければならない劣悪な状況の中で崩れた垣の上に壁を建てて最善をつくしたキム・ナムギルは "私が元々汗をよく流さないのに今、服がすべて濡れた.ここへ来て 1年分の汗をすべて流すようだ"と "それでも気持ちは良い"と笑みをたたえた.
最後の日まで救護物品とざりがに島で,学校を失った子供達にはサッカーボールをプレゼントしてくれたキム・ナムギルはむしろ地震ですべてのものが崩れ落ちたが,毎瞬間最善をつくす人々の姿にむしろ自分がもっと幸せになったとありがたがった.
11日にインドネシアスマトラ島地震復旧現場から帰って来たキム・ナムギルはインドネシアの子供達を通じて未来の希望を見て来た自分がハイチを助けなければならないことは運命のようだと,29日放映される '世界と私 W' ハイチ地震放送にも声を寄付してナレーションに同参した.
地震の惨劇が襲ったスマトラ島.学校を失った人々にひとりの力では何もしてくれることができなくてキム・ナムギルはどうしても足が運ばないと言った.インドネシア震害復旧現場ボランティアを終えて浮かび出た翌日発生したハイチ地震消息を聞いてキム・ナムギルは今すぐでもハイチ震害現場に駆け付けたい心だと心情を伝えて来た.
悽惨だったスマトラ地震,その後 100日を直接報告,経験して帰って来たキム・ナムギルは "強震で廃墟になったインドネシアで一番極甚な苦痛を受けていることはか弱い子供達と女達だった.地震が発生した当日に生まれたという赤んぼうを胸に抱いて見たらこれらにも未来を夢見て希望を抱いているということが分かるようになった"と "今ハイチにも私たち皆が力を合わせて関心と掛け声の手助けを送ったら彼らもこんな希望を持つようになるでしょう"とインドネシアはもちろんハイチまで持続的な救護活動を広げる計画だと明らかにした.
すべてのものが崩れた地,ハイチと悲しい太陽の都市,シテソルレイの貧乏でもたらしたパン,泥クッキー,そして廃墟になったインドネシアスマトラ島まで.このすべての内容は 29日夜 11時 55分 MBC '世界と私 W'で確認することができる.
☆キム・ナムギル(29)が震害現場でボランティアを広げて暖かい感動を伝えた.
29日放送された MBC '世界と私 W 'でキム・ナムギルは地震の被害を目で直接確認してからは口をつぐむことができなかった.想像以上に疲弊された姿に我を忘れたりした.
この日放送でキム・ナムギルは強震と津波で廃墟になったインドネシアスマトラパリアのみを捜して地震被害復旧に出た.掛け声の手助けが触れない奥地村まで直接訪問して救護物品を伝達した.
キム・ナムギルは国際団体が運営する臨時学校に訪問して "子供達の夢を守ってくれたい"と子供達と一緒に時間を過ごした.子供達と一緒に絵もそしてサッカーもして地震の傷を洗ってくれようとした.引き継いで "子供達が地震のためたくさん暗いと思ったが,思ったよりとても明るくて良い"と "明るい姿でこんなにあってくれてありがとう"と言った.
キム・ナムギルは '最後に子供達に何をプレゼントしたいか'と言う質問に "心..."と答えて "ひとりではないという信頼,この信頼をもっとたくさん配りたいです"と子供達に希望と勇気を伝えた.